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1.林業の現場で思うこと

国際環境NGO FoE Japan 副代表理事、フェアウッド・パートナーズ代表 岡崎 時春

「森は海の恋人」
この言葉は、三陸海岸で牡蠣養殖業を営み、三陸の海岸に流れ込む河川の上流に広葉樹の森を育てる活動をされ、現在は京都大学の教授になられた、畠山重篤氏の有名な言葉です。

私が、森林保護活動に入ったことも、GLOBE(国際環境議員連盟)のシンポジウムでの畠山氏の講演を聞いたというきっかけがあります。

ここ天竜の山荘を借りているのも、この山荘の持ち主が、畠山氏の「森は海の恋人」を信奉する、水産会社の社長であったからと言えます。私が関与する国際環境団体が、オホーツク海の海洋資源を守るために、アムール河(黒竜江)流域の森林保護活動をしていると、たまたま山荘に来ていた社長に言ったら、そんな奇特な活動をされているのなら、この山荘をタダでもよいから使ってくれとご提案頂いた経緯があったのです。


森と海、そのつながり
そして今、天竜の山間地で、人々の営みを、見・聞きするにつれ、林業と農業は切り離せないのは当然として、狩猟も漁労も切り離せないことが分かってきました。大昔は、生きるための「生業」に、農業、林業・水産業などという役割分担はなかったし、現在もここ熊(※地名)の集落の人々は、これらの全てに少しずつ関わって生活・仕事をしています。

水産業がこんな山奥で成り立つのか? と疑問を抱く人がいるかもしれませんが、狩猟からもたらされる肉と、漁労からもたらされる魚は、山村に生きる人たちの重要な蛋白源なのです。「森は海の恋人」という場合の海は、魚介の取れる海であり、河川を含んでいると解釈するのが妥当だし、我が「阿多古川」で放流される鮎の一部は、天竜川の河口・汽水域で生まれた稚魚を、市の種苗センターで人口孵化された稚魚とともに、中流と上流で放流しています。本来なら、稚魚は自分で遡上してくるのですが、天然ものは数が少ないのと、阿多古川の途中に「堰」があり、餌の多い中・上流域に遡上できる稚魚が少ないので、人間が中・上流に稚魚を放流しているのです。

鮎は川魚で、しかも渓流に棲むと思っている人が多いようですが、産卵は海に近い汽水域で行われており、山側の人に言わせれば、「海(河川を含む)は森の恋人」という、逆の発想、即ち海からの恩恵を、一部ですが、山側が受けていると考えることもできるのです。

森が海にもたらすものは何かを考えてみましょう。魚の食物は、植物プランクトンと、苔や海藻などの水生植物、これを食べて育つ動物プランクトン、そして小魚から大魚に至る食物連鎖です。森で生産されるのは植物プランクトンに加えて、微量だが植物の成長に欠かせない「ミネラル」です。

農作に必要な肥料の3要素は、窒素・リン酸・カリです。苔や海藻は「光合成」でできますが、成長するには、鉱物であるリンとカリウムが必要です。深山から流れ出る水は、一見無色透明で混ざり物などないように見えますが、動物の排泄物・死骸などから出来る窒素分と共に、ミネラルを絶えず供給しているのです。「河川」が森と海の恋人同士を結び付ける重要な役割を担っているのです。

さらには、腐植土に含まれるフルボン酸とミネラルである鉄分です。これらは「磯やけ」などで荒廃した「藻場」を再生できるとして近年注目されています。

私が林業を始めるために、ここ静岡県天竜市の熊の集落に居を構えて、はじめは林業だけをするつもりだったのが、お茶の栽培や椎茸生産、菜の花栽培などの農業分野にも頭を突っ込まざるを得なくなったのは必然の成り行きとして、猟友会や漁業組合に入ることになろうとは、当初想像していなかったことです。

山村では、農・畜・林・水産の全てが循環する社会ができています。恋人どころでなく、家族です。血は繋がってなくとも、集落全体が共同して、農・畜・林・水産の仕事を分け合って分担しています。


恋人を隔てる海外の天の川、つなぐ日本の川
恋人同士を結び付ける「河川」について考えてみましょう。都会に住む人は、河川と聞くと、台風の時に地域住民に洪水を引き起こす「やっかいもの」くらいの評価しかないようですが、人々の生活に取って最重要な「水」を供給するという極めて重要な機能を背負っているのです。「水」、とくに「淡水」は世界的に見ると、地球温暖化の影響か、枯渇の方向に向かっています。

ヒマラヤの西パミール高原に端を発する「アムダリア・シルダリア」は中央アジアの5カ国を貫流してカスピ海に注ぎますが、この川の水は、飲料水はもちろん、流域の農作物の灌漑用に使われ、上流域で使われた水は、そのまま空中に蒸散して下流には流れなくなってしまっています。今では下流の農業・漁業が成り立たなくなり、国連が各国の水利用量の調停に乗り出してはいますが、政治問題化しています。

日本は、集中豪雨が頻発するようになったとは言え、年間の雨量はむしろ増えているので、水資源を巡っての争いが極めて少ない、水に恵まれた数少ない国の一つです。それにも増して、日本の川は「清流であり急流でもある」。清流であることは、日光を水中によく透過させ、光合成を活発化して、苔やプランクトンを育てる、急流であることは、岩からミネラルを削り、これを海まで運んで行くということです。

米国のミシシッピ川や、ドイツのドナウ川は、濁り水が海か海峡のようにゆったりと流れていて、取れる魚は鯰のような大魚ですが、とても泥臭く、限られた料理法でしか食べられません。メキシコ湾で取れる海老や蟹は美味ですが、ミシシッピ川が養分を運んだという話は聞いたことがなく、ドナウ川についても同様です。これらの川では、上流からの水が河口まで達するのに、ほぼ1週間かかります。中流域のオーストリアに大雨が降って洪水が発生したとすると、3日後の河口のルーマニアで、晴天下で洪水に見舞われるのです。30年ほど前にルーマニアの製鉄所に仕事で出張したとき、明日は洪水が来るので、打ち合わせは中止にしましょう、と言われました。外は晴天なのに、何で洪水が?と不思議に思えたのを今でも覚えています。河口から数時間で源流に近い山に入れる日本の河川の長さはせいぜい100kmですが、欧米の河川は数千kmの距離があるものも多く、海から山の恋人の所に行くのは大変なことなのです。


日本の森と海が恋人同士になれたワケ、その秘密は距離だった?
畠山氏の別の著書『リアスの海』では、「リアス」の語源である、スペインの西海岸リアス地方に旅した報告が記されています。「森は海の恋人」が成り立つのは、リアス式の海岸、即ち海に迫る後背山地を控えた、三陸海岸のような地形で、ダムなどのない50km前後の急流が森と海を結んでいる所かなと想像します。ちなみに、我が集落・熊が源流である阿多古川は、30kmほど下流で天竜川に合流し、さらに15kmで太平洋に注いでいます。

この夏は孫たちを山に呼んで、ヤマメ・アユの「ひっかけ捕り」に挑戦してもらおうと思っています。

漁業組合員になった役得で、予め網で魚を囲い込んで、そこを「銛」のような道具で引っかけてとる漁法が許されるのです。8月には、県の狩猟免許試験に挑戦です。シカやイノシシなどの獣害対策のためです。

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