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2.「先住民族の権利に関する国連宣言」の採択と国際開発事業の将来 〜先住民族の権利と国際社会の義務、事業者の責任(後編)
恵泉女学園大学教授、市民外交センター代表 上村 英明
国際開発事業に関する条文を読む:何が権利として規定されているか
本文全46カ条の条項に書き込まれた具体的な権利は大きく以下の8グループに分けることができる。(1)一般原則、(2)生存、一体性および安全、(3)文化的、宗教的および言語的アイデンティティ、(4)教育および公共情報、(5)経済的および社会的権利、(6)土地と資源、(7)先住民族の制度、(8)実施。

この中で、国際開発事業に関係をもつものは、まず、第1条〜第6条の「一般原則」に関する条項である。先ほども述べたように、ここでは、先住民族が自己決定権を行使する主体であること、「ライツ・ホルダー」であることが明記されており、その中には自由に経済的発展を追及する権利が含まれている。そして、具体的な権利部分では、第25条〜第32条の「土地と資源」が最も関連性が深いが、こうした規準がなぜ必要かは、その他の一体性と安全、文化的・宗教的・言語的アイデンティティ、教育、経済的・社会的権利などの条項を読むことで説明が可能となる。

さて、中核となる条項には何が規定されているだろうか。第25条は、土地・資源に関する基本原則を示しているが、先住民族が、所有・占有・使用してきた土地、領土、水域、沿岸海域、その他の資源と民族の精神的つながりを維持、強化する権利を謳っている。ここでは、先住民族個々の所有権が明確ではないから、国有地として編入し、その森林の伐採権を国家が企業に提供するという従来の開発事業のパターンが原則として否定されている。個人の所有関係が明確ではない伝統的で集団的な占有・使用に対しても、先住民族としての精神的つながりが認められれば、近代概念を超えた空間に先住民族の権利が認定される。第26条では、先住民族の土地、領土、資源に関する慣習、伝統、土地保有制度に国家が法的承認や保護を与える義務が明示されており、第27条ではこの承認を与える手続きのあり方(公平、独立、中立、公開性のある手続きと先住民族自身の参加)が規定されている。

第28条では、先住民族の土地、領土、資源が、「自由で事前の情報に基づいた同意(FPIC)」なく没収、収奪、占有、使用され、損害が与えられた場合の現状復帰、補償の義務と条件が定められており、この義務は開発プロジェクトにおける事業体にも課せられるものである。また、第29条には、先住民族の環境保全に関する権利が規定され、FPICなしの有害物資の貯蔵および廃棄の禁止、さらに先住民族の環境と健康に関する国家の義務が定められている。これに加えて、第30条は、FPICを無視した一方的な軍事行動を禁止している。ここで言及されているFPIC原則は、本国連宣言の起草過程の早い段階から注目されていた概念で、とくに国際協力の分野では「世界銀行」、「国際労働機関」、人権の分野では「人権小委員会」などで概念の精緻化が検討されてきたものである(注1)

第31条では、最近の動向を鋭敏に反映し、土地、領土、資源と関連する知的所有権あるいは先住民族の「遺産」の権利とそれを保護、管理、発展させる権利が列記されている。例えば、人的・遺伝的資源、種子、薬、動物相・植物相に関する知識、口承伝統、文学、意匠、スポーツおよび伝統的競技、視覚芸術、舞台芸術、科学、技術などである。

第32条では、先住民族が、単なる環境保護の主唱者ではなく、土地、領土、資源を開発、利用する戦略を持つ主体であることが規定されている。いわゆる発展の権利の主体としての先住民族である。この点、国家がその空間で事業を展開する場合には、FPIC原則を先住民族自身が設立した代表機関を通じて、誠実に実施しなければならない。

代表的機関の設立を含めて、その後の条項で言及される先住民族自身の制度構築と国家による尊重、支援を規定した「先住民族の制度」も重要な権利グループだが、ここで注目しなければならないことは、先住民族の権利では第6条と第44条を除いて、そのほとんどが集団の権利(collective rights)として明示されている点である。集団の代表制をどう確保するかという問題はあるが、かつて、欧米の人類学者がやったように、特定の個人や一部の集団を懐柔あるいは騙して、貴重な財産を盗むといった手法は、開発協力の手法としても時代錯誤的であり、犯罪的であるということであり、集団の権利を前提とした上で、FPIC原則実施のための公正、透明な手続きが求められている。

日本で「先住民族の権利」を考える
日本政府は、本国連宣言が9月13日に採択されるとすぐに解釈宣言を行ったが、正直噴飯ものであった。もともと日本政府の人権に関する関心は低いが、先住民族の権利に関しては関心をもつ必要もないと考えているのかもしれない。最悪のものは、「集団の権利」を人権としては認めないと発言した点である。日本政府は国連総会での決議において、本国連宣言に賛成票を投じたが、もしこの解釈宣言をまともに受け取れば、46条文中44カ条を実質認めないといったことになり、それならば何故反対に回らなかったのか見識を疑わせるものがある。

確かに、欧米に起源をもつ国際人権法では、「国家」主体の国際法に対して「個人」を主体とする国際人権法を発展させていったが、その後「集団の権利」が認められなかったわけではない。「国際人権規約」共通第1条が集団的権利である「人民の自己決定権」を人権保障の基礎として明確に規定したことはすでに紹介した。「国際人権規約」の基盤ともなった1945年の「世界人権宣言」は、第16条で「家庭」は集団として社会や国家の保護を受ける権利があると規定しているし、第17条は財産権に関し、集団で財産を持つことを人権の一部としている。とくに後者は、日本の文脈では民法、会社法などによって設立される「法人」に人格権や財産権が認められていることで証明できるだろう。つまり開発事業に関わる企業自体が、先住民族と同じく「集団的権利」の具現者である。また、先住民族の権利に関しても、 「国際人権規約・自由権規約」の監視委員会である「規約人権委員会」も、同規約第27条が先住民族に集団的権利を認めたものだとする解釈を示している。日本政府は、2006年に最高水準人権規準を履行すると国連総会に「誓約」して、初代の人権理事会・理事国に当選を果たしたが、国際人権への理解は残念ながらこの程度である。

その点、先住民族の権利に関しては、国際機関や国連機構、この権利に関する先進的な諸国やNGOの議論を注意深く観察する必要がある。確かに、既存のシステムにとってはその受け入れに当初困惑を感じるかもしれないが、5年あるいは10年というタイムスパンで将来を見渡した時、先住民族の権利は、国際開発事業が避けて通れない問題であることを素直に認識し、一早い対応が多くの人々の共通の「利益」になることだろう。

注:
(1) 以下の文献を参照。苑原俊明「先住民族の権利−事前の自由なインフォームド・コンセント原則との関連で」『国立民族学博物館研究報告』32巻1号、2007年。
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